蜜色椿

業火の谷間が待ってようと



銃声が立て続けに二回。
アスランの応戦は誰より早かった。
振り向きざまに撃った銃弾が暴漢に命中したのを、カガリは彼の肩越しに見ていた。
襲撃者たちの狙いは代表首長だ。それは尋問しなくても明らかだった。最初の敵弾はカガリの耳をかすめて公用車にぶつかったから。
多方からの銃撃を受けて、無傷で済んだのは半分は運だった。もう半分は、最初の銃声と同時にアスランがカガリを腕のうちに引き入れたおかげだったが。
「アスラン……!」
呼んではならない名前がついこぼれてしまっていた。
銃弾のひとつがアスランの上腕に、当たっていたのだ。
「ひとり、南へ逃走したぞ! 茶色のジャケット、黒髪の男だ! 脇腹に被弾している」
カガリの小さな悲鳴のような呼び声には応えずに、アスランは他の護衛に逃走者を追うように指示する。それに短く応じてすぐさま二人が犯人の追跡に駆け出した。
少し離れた路地に大柄な男が太腿をおさえてうずくまっている。アスランの拳銃に倒れた男だ。身動きがとれないようでアスファルトに血だまりができていく。公設の護衛二人がその男に駆け寄っていくのを見てから、カガリはアスランをあらためて見上げた。
彼は周囲のビルや路地に視線を滑らせて、ほかに危険が残っていないか、確認しているようだった。
鋭いナイフのようなまなざしだ。車と自分の体の間にカガリを隠しながら、警戒を緩めない。
「アレックス……」
「お怪我はありませんか、代表?」
カガリがこの場での正しい名前を呼ぶと、アスランははっとしてカガリを見下ろした。
「私は大丈夫だ、なんの怪我もない」
「そうでしたか、よかった……。いま応援を呼びます。それが到着するまで代表は車内に」
「待てよ、おまえ、怪我してるんだぞ」
アスランは冷静に次のことを考えているようだが、カガリはそれどころではなかった。アスランの傷からはたぶん血が流れ続けている。黒いジャケットでは鮮血の赤は目立たないが、裂けたところから暗く重い色がじわじわと広がっていた。
「早く手当てしないと……!」
焦りばかりが湧いてくる。位置を見る限り大丈夫だと思うけど、動脈を傷つけていないか確認しなくては安心できない。
「大丈夫ですよ、このくらいのかすり傷は。もう痛くもありませんし」
「なに言ってんだ、ばか!」
かっとして、素のままに言っていた。そんな平気な顔をするなんて。有事の渦中だからなのだとしても、痛くないなんて言わないでほしい。
「いいから、おまえも車に乗る! おまえが乗らないなら私もここを動かないからな」
代表首長の専用車は防弾仕様だ。アスランは早くそこにカガリを入れてしまいたいのだろうが、怪我を負ったアスランを外に立たせながら、安全な車中にひっこむなんて、絶対に嫌だった。

「ほら、ジャケットを脱げよ」
結局、交渉に勝ったカガリは、車に乗り込むやいなやアスランの上着を剥ぎとった。傷ついたほうの腕をかばいながら慎重に脱がせたが、腕を抜くときにアスランが息を詰めたのがわかった。
「これで、どうして……」
カガリの嘆きは声にならなかった。
ジャケットはじっとりと濡れている。インナーのシャツの裂け目から傷口が見えた。肌を削ったような裂傷。カガリはぐっと唇を噛みながらアスランのシャツを脱がせにかかった。
銃弾はアスランの腕の外側を撃ち抜いており、上腕動脈に当たるような場所を傷つけてはいなかったが、ひどい怪我には変わりなかった。弾丸の衝撃は皮膚を深くえぐり、出血も簡単には止まらない。
いま、カガリにできるのは応急措置くらい。でも、止血だけでもできたらだいぶいいはずだ。カガリは車内に備えてある救急セットを取り出して包帯を少しきつめに巻いていった。
カガリが厳しい顔で手当てをするのを見下ろしながら、アスランはただ黙っていた。
「……ありがとう、アスラン」
仕上げに包帯の端を結び合わせながら、カガリはそっと言った。
運転手をしていた護衛も襲撃者の追跡に向かっていたので、車内は二人きりだった。
「カガリを守れてよかったよ」
アスランがようやく笑みを見せた。護衛のアレックスのときの微笑とは違う、心のままの笑顔だった。
「いや……いいや、よくなんか」
彼の顔をまっすぐに見られなくなって、カガリはうつむいた。
「なにもよくなんてない。おまえにこんな怪我をさせてしまった……」
悔しさに顔が歪んだ。
戦後、カガリが暗殺の危機に遭ったのはこれが二度目だ。
最初の暗殺事件は単独犯によるナイフでの襲撃だったので、これも未遂に終わっていたが。実行犯の背後を捜査させて出てきたのが、ある下級氏族の族長の名前だった。それを知って、カガリは深く追求するのをためらってしまった。やっと形になってきたオーブの国政に亀裂を入れたくなかったのだ。
ほとんど総入れ替えのようになった首長たち、閣僚、政治の中枢はまだ少しもまとまっていない。それぞれに主張の違う彼らを自分の意志に沿わせられるほどの力がまだ、カガリにはない。代表として氏族を統率することができていない自覚は嫌というほどある。
「怪我をさせた、ってこの傷はカガリのせいじゃないだろう」
「私のせいだ」
カガリはきっぱり言った。包帯で包んだ傷を触れずにじっと見つめる。
「私がふがいないせいで、こんな……アスランにはもう絶対に傷ついてほしくなかったのに」
こみ上げてきた涙をぐっとこらえた。自分に父のような力があればこんなことには、きっとならなかったのに。
「俺が選んだことだよ。ここにいるのは」
「でも、私が代表としての務めを果たせていたら、こんな事件が起きることもなかった」
「テロや暗殺は犯罪行為だ。その原因は起こす側にあるもので、カガリにあるものじゃない」
穏やかな口調だったが、アスランの声には憤りがはっきりと表れていた。
それに少し驚きながら、前回の暗殺未遂事件のときの彼の様子についてを、カガリは思い出した。事件の知らせをキサカが伝えてくれたのだが、その時のアスランの目がキサカには殺気立って見えたと。
カガリの護衛に志願したいと、アスランが話をしにきたのは、それからすぐのことだった。
「……でも、それでも私は」
絶対に泣きたくなかったのに、しずくが溢れて頬を伝った。
カガリを守ったのは自分の意志なのだと、アスランは言うのだろうけど。
自分のためにアスランが傷ついてしまったのだと、責める気持ちから逃れられない。
「カガリ……」
琥珀色の瞳から、次々とこぼれる涙にアスランは手を伸ばしかけて止めた。少しの沈黙の後、改めて彼は話した。
「カガリがいま、身を削るようにしてオーブを立て直そうとしているのを俺は知っている……知っていて、その助けになりたいと思ったんだ」
真摯な言葉だった。カガリは何度もまばたきをして潤んだ視界を晴らした。
アスランの目はまっすぐにカガリの目を見ていた。
「平和を築こうと戦っているカガリを守ることが、カガリと一緒に戦うことになるんじゃないかと、考えたんだ。カガリを守れる能力はある。だから、俺はここにいるんだ」
アスランが自軍に背いてまで、キラとラクスと、そしてカガリと共に戦ったのは、彼自身が争いをなくすことを強く望んだからだった。彼にも『想い』がある。
「俺がカガリを守るよ。これが、いま俺にできる最大限のことだから」
止まったはずの涙なのに、声にならない嗚咽となって後から後から溢れてくる。うつむいて泣くカガリの髪に、アスランの手のひらが優しく触れた。
「今日、ここにいてほんとうによかった……」
傷ついていない方の腕でカガリを引き寄せると、アスランはようやく安堵したようなため息をついた。
今日、ここにアスランがいなかったら……彼がカガリをとっさに庇わなければ、二発目の弾丸はカガリを直撃していたはずだった。
「……アスランの傷の手当は、治るまで私がする、からな」
溜めていたぶんを全部泣いて、涙のあとを両手でぬぐいながら、カガリはぼそりと言った。
「これからちゃんと病院で処置をしてもらうけど、それからは私がぜんぶやるからな」
「それは……かまわないが」
カガリが断固とした顔をすると、アスランはよくわからない様子で目をぱちくりしていた。
「だけど、手当なんて面倒なことしなくても……」
「じゃないと私の気が済まないんだよ!」
むっとくちびるを尖らせて言ったカガリを見て、アスランは小さく笑った。
それから少し考えるように視線をそらすと、座席に置いていた服に目を止めた。
「なら、手始めにシャツを着るのを手伝ってもらおうかな。左腕がちょっと上げづらいんだ」
「わかった、任せろ!」
あまりない、アスランからの頼みごとにカガリは張り切って挑んだが。
手当てをするからと、カガリが脱がせたグリーンのシャツは着せる方がずっと大変だった。
初めはもたもたと手間取った着替えも、不格好な包帯の巻き方も、アスランの怪我が回復する頃にはずいぶん上達していた。怪我の処置について、看護師からアドバイスもたくさんもらった。いざという時のために身に付けておくとよい知識だからと。
できるだけ、学べるだけ学んで、習ったことを頭に刻み付けながら、けれども、いざという時など来なければいいと強く思った。いざという時が来ない未来を造りたい。応急処置の知識など、使う出来事がどうか訪れないでほしい……
そう、願いながら、アスランの傷が完治したその日、カガリは救急箱を自室のクローゼットの一番奥に仕舞った。








空白の二年間に、アスランがカガリの護衛を務めると決めた動機はなんだろう。
ずっと考えていました。
「こうだったらアスランらしいかな……」と自分自身が思う答えがこれでした。
あくまで…あくまで、私個人の考えとして…!ご了承いただきつつ楽しんでいただけたら幸いです。

こういう、自分の中でSEEDという作品に関して考え続けていること、アスランとカガリの二人について考え続けていることの答えを、少しずつ小説にしていけたらな、という緩い目標を緩く掲げながら、新時代もSEEDを愛していきたいと思います。

ちなみに私の脳内設定の時系列的にはこれは代表就任直後くらい、ユウナとの婚約をごり押しされる前の出来事です(笑)

題名は宇多田さんの曲からでした。私的最高のアスカガテーマソングのひとつと思っている曲です。聞きながらいつも泣いてます。

それではお読みくださりありがとうございました。


2019/06/12
top