蜜色椿

真夜中の園

01



蜜と芳香をともなって

夜にだけ咲く花がある







鋭い金属音が高く鳴った。
石造りで天井の高いその構内にはよく響く。
見守る観客は少なくはなかったが、誰もが息を詰めて二人の成り行きを観戦していたため、そこは無人のときよりもひょっとすると静かだったかもしれない。
衆人が見つめるのは、群青の髪と、蜂蜜色の髪。
二人の少年の剣技だった。
「遅いな……」
繰り出された鋭い突きを優美なくらいの動作で避けて、青い髪の少年……アスランが言った。
「うるさいっ」
金髪の少年は短くわめくと、手首を返し続けざまに切りつけたが、それを読んでいたかのような正確さで軽く弾かれ、小気味よい音と共に剣は宙に舞った。
「あ……」
かしゃんと床に落ちた自分の剣を見て少年の表情が落胆した。
「今回はよくもった方だと思うが」
アスランの剣の切っ先が、相手の喉元に向けられた。
「カガリ・ユラ・アスハ。そろそろ降参する気になったか?」
「するわけないだろ!」
いつ切りつけられてもおかしくない状態であっても、少年の……カガリの気勢はしおれることはないらしい。
アスランはため息をついて剣を納めた。
「俺の言ったことがどうやら理解できてないようだな。上官に対する態度がそれでは困ると、ちゃんと教えただろう?」
むすっとしたままのカガリに、アスランはひとつ忠告した。
「また罰が増えてもいいのか?」
低い声にカガリがぎくりと肩を反応させた。
不承不承、反抗をとりやめる。
ようやく態度の崩れたカガリを見て、アスランは口許を緩めた。
「ここにいたいのなら上官の命令が絶対だってことはよく覚えておくんだな」
床に転がったままだった剣を拾ってカガリに手渡すと、彼はその場を後にした。
それを待って、集まっていた野次馬は、ある者は名残惜しそうにカガリを見ながら、あるものは剣術の話に熱心になりつつ、散会を始めたのだが。
カガリはそこから動けなくなってしまっていた。
アスランが剣を手渡した、そのすれ違いざまに耳元で告げられたことに、一瞬で真っ赤になってしまっていたのだ。
「剣に夢中になり過ぎるのも考えものだな。コルセットの紐が解けているのに気付いてないだろう?」
言われて、さっきまで胸を締めつけていたものが、緩くなっていることに初めて気がいった。
(あいつ……っ)
コルセットといえば通常は婦人がウエストを締め、細く見せるために使うものであるが、カガリの身につけているものはそうではなかった。
ウエストではなく、胸回りを覆う武具に近い形をしており、それがカガリの胸を締め付けているのだ。
しかし、その拘束が解けた今、カガリの胸囲は膨らみ、少年にはありえないラインを作っていた。
カガリは硬直したまま、最後の一人が訓練場を出ていくのを待った。
そして、周囲が完全に静まってから、あわてて胸元を押さえた。
「よかったぁ……」
安堵の訪れとともに足の力が抜けてしまい、カガリは冷たい石の上にへたりこんだ。
つとめて、いつもゆったりとした服装を選んでいるため、カガリの胸囲の変化には誰も気付かなかったようだった。
(女だってばれたら最悪だった……)
少年の姿をしているが、カガリの本性は少女だった。
彼女は、それを隠して、ここ王家直属の騎士団に入っているのだ。
髪を短く肩まで切り、特別に作らせたコルセットで膨らみはじめた胸を隠し、持ち前の勇ましさで、あたかも少年のように振る舞っているが。
カガリの正体は由緒ある子爵家の令嬢だ。
ふわふわしたドレスを纏い、長く伸ばした髪を結って、のんびり庭園を散歩したりすることが本来の仕事である。
しかし、家庭の事情と、カガリの向こう見ずな性格のおかげで騎士団の一員を演じることになってしまったのであった。

ことの起こりは半年前、王室からの使者の訪問の日だった。
カガリの家、アスハ家の仕えるプラント王家は貴族からなる騎士団を所有している。
王家に忠誠を示す意味も込めて、貴族に生まれた男子は例外なく一定の期間をその騎士団に所属することが義務付けられているのだ。
それは爵位を持つアスハ家にも課せられていることで、使者の用件はそのことだった。
「アスハ家の嫡子、キラを騎士団に徴集する」と。
(こんなところにキラをやらなくて本当によかった……)
カガリは胸元を気遣いながら一目散に自室に帰り、コルセットを直していた。
騎士団に入って半年。
その間にも成長したカガリの胸は隠すのに苦労する。
数々のリスクと、困難を背負わなくてはならなくても、カガリは弟の代わりに騎士団に入ってよかったと思うのだ。
キラはまず体が弱い。
騎士団の厳しい鍛練に耐えられるかどうかわからなかったし、なによりカガリの弟は気性が優し過ぎた。
争いごとが苦手で、体を鍛えるため、たしなむ程度に習っていた剣術でも傷つけてしまった相手を悲しんで泣くような子供だった。
カガリは姉として、そんな弟を騎士団に入れるなど許せることではなかった。
「カガリさん」
きつく、紐を締め直して支度が調った頃にタイミングよく部屋の扉がノックされた。
「そろそろ夕餉ですが、行かれませんか?」
やわらかい声はカガリの隣室の少年、ニコルだった。
カガリは返事と一緒に扉を開けた。
「行く行く! ありがとな、ニコル」
元気なカガリの姿を見て、ニコルは笑顔を返した。
「動いたからかなぁ、お腹ぺこぺこだ」
二人は連れだって廊下を歩く。
アスランと真剣勝負をしていた頃にはまだ高かった陽が傾き、石の廊下を黄金に照らしていた。
日没までは二時間くらいだろうか。
窓の向こうで落ちはじめた太陽をカガリはにらんだ。
「カガリさん、大丈夫ですか?」
ニコルが心配そうにたずねた。
「昼間の勝負ではやはり負けてしまったらしいですけど……」
「大丈夫だ」
遠慮しながら言うニコルにカガリはきっぱり宣言した。
「アスランなんかに負けてたまるか。今度こそ」
「そんなこと言ったらまた怒られますよ」
ニコルは慌てて言った。
「カガリさんはそういうところをもっとちゃんと気をつけないとだめですよ。アスランさんは上官なんですから。今回の決闘だって……」
「わかってるって」
カガリは手のひらを広げて小言を遮った。
じつは、似たような決闘をカガリは何度もやらかしていた。
今回の対決も乗馬の訓練で、馬が好きなカガリが、アスランの命令を無視して単独行動をしたとかしないとか、そんなことが原因だった。
「子供じゃないんですから、注意くらい素直に聞きましょうよ……」
「わかってるよ……」
(でもいつも言い返して、喧嘩になって……)
カガリが折れないので、いつも最後には腕で決着をつけることになるのだ。
そしてやはり勝ったことは一度もないのだが。
でも、今回こそは勝ちたかった。
「もうすぐ日没ですけど……ほんとに大丈夫ですか?」
ニコルが念を押す。
本気で聞かれるとカガリは答えられなかった。
アスランはカガリの直属の上司にあたる。
カガリと歳はひとつしか変わらないのに、一個隊の隊長を勤めているような人なのだ。
団内では天才剣士とも言われている。実力に差があるのはカガリにだってわかっていた。
「今は真っ向勝負じゃ敵わないのはわかってるさ。だから私、今回はちょっと作戦を考えたんだ」
カガリはにやりと笑った。
しかし、ニコルは反対にますます表情を悪くした。
「作戦って……どんな作戦ですか?」
「内緒だ」
ニコルの心配をよそに、カガリはふふ、と笑った。
決闘の刻限は日没まで。
カガリの決起はもうすぐだった。



時刻は進み、空の色が、一面の赤から群青と夕日色のグラデーションに変わる頃。
陽の沈む直前に、カガリは暗くなってきた足元に注意を払いながら、木登りをしていた。
大人しい弟キラとは正反対に子供の頃から活動的だったカガリは、ドレスを着せられても静かに庭を散歩するようなことはまずなかった。
木を見つければ登り、小川を見つければ水遊びをし、侍女達を泣かせていた。
木登りはおてのものだった。
(あいつもまさか窓から来るとは思わないよな)
カガリの作戦とはこれのことだった。
二階にある、アスランの私室に届く位置に植わった大きな木を伝って、窓から彼の部屋に飛び入り、一気に決着をつける。
決闘は一日のうちいつ申し込んでも、どこで行ってもいいというのがルールにあるので、不意打ちは反則ではないのだ。
(びっくりしたらどんな顔するのかな)
アスランが自分に剣を突き付けられ、負けを認める様子を思っただけで、カガリは頬が緩んでしまうのだった。




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